| タイガー5詳細(2001年11月、シンガポールにて) |
 <会場の中はこんなにキレイ>
またしても4位に終わった第3回アジア選手権から4ヶ月後、日本代表はいよいよ本格的な強化に入った。その手始めがこのタイガー5である。タイガー5とは、当地のビール会社であるタイガービールがスポンサーになり世界のフットサルの強豪を集めた大会で、今大会で3回を数える。
さて、参加国は12カ国で、組み合わせ別に見てみると以下のとおり。
A組:スペイン、イラン、中国
B組:オランダ、コスタリカ、タイ
C組:イタリア、オーストラリア、日本
D組:ブラジル、エジプト、シンガポール
試合形式は、1位トーナメントをCUP、2位トーナメントをPLATE、3位トーナメントをBOWLと呼んでそれぞれ表彰があり、賞金が出るのが特徴である。
日本の監督は、原田監督。第2回アジア大会のマリーニョ監督のとき、コーチを務めており、サロンフットボール時代には日本代表にもなった経歴がある。いわゆるフットサルプロパーの監督で、マリーニョ、木村と続いたサッカー系の監督から流れが変わった。
実はこの年後半、つまり7月のアジア大会以降、国際試合が3つも続いた。10月に、ブラジルのバスコダガマが来日しての日本選抜の国際試合、11月の本大会、年末にブラジルで行われたトッパーカップ遠征(日本選抜)、いずれも、原田監督である。したがって、本大会のメンバーは、選考の時間的な余裕もなかったことからか、基本的にはバスコダガマ戦のメンバーがベースになっている。
GK 田北 雄気:当時はIPDFC(元浦和レッズ)
GK 川原 永光:現在は田原FC、当時はピッチコーポレーション
FP 鈴村 拓也:MAG、当時は神戸ハーバーランドFC(元ヴィッセル神戸)
FP 市原 誉昭:現在はPREDATOR、当時はCASCAVEL
FP 相根 澄:現在PREDATOR、当時はイタリアIFCチャンピーノ
FP 前田 喜史:CASCAVEL
FP 藤井 健太:現在はMAG、当時はBORDON
FP 横山 恵介:IPDFC(元セレッソ大阪)
FP 金山 友紀:CASCAVEL
FP 木暮 賢一郎:FIRE FOX
FP 黒岩 文幸:IPDFC
FP 和泉 秀実:現在は田原FC、当時はピッチコーポレーション
バスコダガマ戦の日本選抜との違いは、FPでは前田、木暮と浅利、関が入れ替わっただけである。また、第3回アジア大会との違いは、フットサルプロパー路線に戻り、市原、前田、藤井が復帰した。しかし、残念だが、上村(信)、渡辺は復帰ならなかった。また、黒岩、和泉が新たなメンバーとなった。
注)浅利は、現在、今年の第9回全国大会出場のParagosto (東北代表・山形)、関はSHARKSに在籍。
戦術面でも大きな変化があった。前2監督は特にセットは意識しなかったが、原田監督の場合、日本選手のフィジカル面、スタミナ面を考慮し、攻撃的なセットと守備的なセット2つを用意した。これは、前アジア大会の反省から、守る時は守り、攻めるときは攻められるようメリハリをつけて大きく崩れることがないようにしたものと思われる。
<予選リーグ>
予選リーグの日本はC組、イタリア、オーストラリアと同組である。イタリアは格上、オーストラリアは未知の国だ。オーストラリアに勝てばPLATE(2位トーナメント)進出は間違いない。 日本の初戦はそのオーストラリアだった。今までは国際試合というとアジアかブラジルが相手だったので、日本の実力がどの程度か知る良い機会であった。
オーストラリアは、体は大きく、プレーも大味で、ボール支配力は日本の方が上だ。とりわけ、今回は、相根、前田、市原、金山と同一チーム(相根はチャンピーに移籍したがCASCAVEL)から多く選出されており、チームプレーもスムースであった。延長にまで「もつれ」こんだが、結局、このチームプレーが効いて、2−1で勝利する。 FUTSALは少ない人数のチーム競技なだけに、即戦力を求めるなら、同一チームからメンバーを選んでコンビネーションを生かすのが手っ取りばやいことを証明したような試合だった。
次の相手はイタリア、前半は守備から入って、守備のセット(横山、黒岩、藤井、鈴村)でまずは様子を見る。これが功を奏して、ほとんどイタリアがボールをキープするのだが、イタリアはなかなか中には入れない。日本も攻撃セット(市原、相根、前田、和泉)に切り替えるが、決定打が出ず、先制点を奪えない膠着状態が続いた。前半はイーブンで終了かと思われた残り3分、今までの守備的対応を一瞬のうちに無にしてしまうようなイタリアの強烈なミドルシュートが決まって逆に先制点を奪われてしまった。
後半は、さすがイタリア、日本のミスに乗じて決定機は逃さない戦いぶり、日本はチャンスは作るが決定打が出ず、結局は0−5で敗戦、2位トーナメントに回ることとなった。シュート力、決定力が課題となった試合であった。(これって、サッカーの日本代表と同じ???)
しかし、今まで対戦できなかったイタリア、オーストラリアといった国々と対戦できた点は良い経験になったのではないか。
<PLATE決勝トーナメント>
PLATE(2位トーナメント)にまわった国は、A組からはイラン(1位はスペイン)、B組はコスタリカ(1位はオランダ)、C組は日本(1位はイタリア)、D組はエジプト(1位はブラジル)とほぼ順当な結果となった。
そして、トーナメント初戦は、エジプト、勝てば恐らくイランと当たる組み合わせとなった。
エジプトは、古代フットサル(という言葉はないが。。。)発祥の地ともいわれ、フットサルの盛んな国である。昨年10月(2003年)にはピラミッドカップが行われ、各国の強豪が集まる大会が開かれているくらいだ。(日本も参戦した。)
日本としては、エジプトを下して、アジアのライバル、イランとまた当たりたいものである。
前おきはそのくらいにして、そのエジプト戦は、日本が先制点を奪う。エジプトには相根と同じ9番のタメールというテクニシャンがいて、タメールがゆっくりボールをキープしているそのボールを前田が強引に取りにいって、前田、相根のコンビネーションから最後はキーパーを振って相根が無人のゴールに決めたもの。 しかし、今度はそのタメールが強烈なお返しをする。まったく同じようにタメールがゆっくりボールをキープして前へ上がる。そして、デイフェンスの一瞬のスキを突いて強烈なシュート、これが決まって1対1、試合は延長戦にもつれこんだ。
 <これがタメール>
エジプトはよくも悪くも、タメールのチーム、タメールがゆっくり後方でボールををキープしながら自分でシュートを打つか、パスをする。パワープレーのようなものである。そして、またお返しにタメールから日本が決勝点を奪う。延長、後半開始直後、タメールが打ったシュートをキーパー田北が好セーブ、相手が前がかりになっているので、田北すばやく藤井に渡し、藤井から相根に渡って、相根がまたしてもゴール、日本は延長Vゴール勝ちした。
いよいよ、これで決勝でイランと対決することができた。PLATEとはいえ決勝である。しかも今回のイラン戦は、藤井、市原、前田にとっては特別なものだったに違いない。前回のアジア大会に選出されなかったため、2年半ぶりの対戦だからである。世界選手権の夢破れた第2回大会、悔しい思いをした第3回大会、今、ピッチに戻って来てイランと再戦できる喜び、さまざまな想いが駆け巡ったことであろう。
ちなみに、相根、市原を加えた経験者5人のイラン対戦成績は以下のとおりである。
1999年 第1回アジア大会 2−5(準決勝)藤井 市原 相根
2000年 第2回アジア大会 2−6(予選リーグ)藤井 市原 前田 相根、鈴村
2001年 第3回アジア大会 4−8(予選リーグ)相根、鈴村
同 2−8(準決勝)相根、鈴村
試合は横山、黒岩、鈴村、藤井の守備セットで始まった。今回の日本代表のテーマは守備を固めることであった。しかし、普通のチームなら十分通ずる守備セットだが、イランともなると力がいる。しかも、イランの方は、がんがん攻めて来た。少し下がり気味で守ったため、ピヴォに当てる攻撃をやられるとさすがに厳しい。天敵みたいなシャムサイエに2得点を決められ、日本は攻撃か守備かペースを掴めぬまま、気がつけば0−4となっていた。
しかし、残り3分、日本らしいチームプレーの1点が生まれる。右サイドにいた藤井がドリブルで上がり、中央手前付近から、左サイドを上がった前田にロングパスを送る。これを感じていた相根はスルーして、イラン守備陣を欺く。ボールはするするとゴール左の前田に渡り、前田はあわてたイランDFを引き付けてフォーローして入って来た和泉に冷静にボールを渡し、和泉これを蹴りこみ、待望の1点である。すばらしい前田の上がりと全員のコンビネーションであった。
結局、前半は1−4で終了するが、この得点は後半に期待をつなげる1点であった。
 <日本の天敵イランのシャムサイエ>
実際、後半開始早々1点を奪われ、1−5となるが、残り3分くらいから日本が怒涛の攻めを見せる。ピッチに立っているのは、GK田北と相根、市原、前田、藤井の4人だった。
藤井が右サイドから意表をつく浮いたパスをゴール正面につめていた市原に渡すと、これを市原ダイレクトに決めてまず1点、2−5とする。続いて、前田から相根へ当てて落としたところを市原がシュート、残り1分半には藤井が5ファールからの第2PKをもらい、前田の惜しいシュートなど、イランは防戦一方になる。
そして、残り30秒近くにもう1点を奪う。速攻から藤井が前田にスルーパス、これを前田が落ち着いて決め2点目。
こうして、後半だけみれば2−1で日本がリードして試合は終了した。藤井、市原、前田の3選手にとっては、全体では3−5と不本意な結果だったかも知れない。しかし、弱いといわれた後半は自分達の手で2−1で終わるなど、それなりに彼らの想いをぶつけることができたのではなかろうか。
結局、PLATEの部の優勝は、、イラン、2位日本、3・4位エジプト/コスタリカであった。また、CUPの部つまり大会優勝は、スペインが世界大会に続いてブラジルを下し、優勝を飾った。もっとも、3−3からのPK戦であり、それは白熱したものだった。3・4位は、日本を破ったイタリア、そしてオランダが入った。BOWLの部は、優勝タイ、2位地元シンガポール、3・4位には、日本に敗れたオーストラリア、そして中国であった。
 <日本はPLATEの部2位で1万ドルの賞金を手にする表彰式>
<総括>
11月27日 オーストラリア<2−1>○ 前田、市原
11月29日 イタリア<0−5>●
12月1日 エジプト<2−1> ○ 相根2
12月2日 イラン<3−5>● 和泉、市原、前田
まずは、今まで国際試合といえば年1回のアジア大会のみだったのが、ここに来てこのタイガー5、このあとのブラジル遠征(日本選抜)というように、さまざまな国と戦うことができ、世界標準を肌で感じた経験は、結果はともかく大きかったと思う。
また、個人技ではまだまだ世界と比べたら劣る日本としては、チームプレー、組織で戦う重要性を再認識したといえる。このためには、普段からある程度メンバーを固定化した継続的強化、そうはいってもあまり練習時間は避けないわけだから、同じチームのコンビネーションを生かす工夫などが必要である。
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