| 第5回アジア選手権詳細(2003年07月、イラン・テヘランにて) |
 <前半が終わって、なにやら指示を与えるサッポコーチ、神妙に聞く木暮、市原>
第5回のアジア大会は2つのプレッシャーがあった大会だった。1つは本来なら日本で開催されるはずだったのが、SARSの影響で、急遽代替開催となり、イランで開催されたこと、2つ目は世界選手権予選を翌年に控えた大会であることだ。
1つ目は、選手達としては、さあ日本でと思っていたので気持ちを切り替えられるかどうか心配な点だ。もう1つは、第4回大会で2位になり、今年もいい組み合わせを獲得したので、最低2位を確保して来年に備えなえねばならないプレッシャーである。今大会で2位以内を確保できれば、世界選手権をかけた来年の大会は宿敵イランとは別のブロック、別のトーナメントの山に入ることができる。
結論からいうと、そんなプレッシャーはものともせず、日本は予定どおり2位以内を確保することができ、来年の世界大会進出をかけたアジア大会に好位置で臨むことができた。そこにはいくつか理由があったように思う。
1つは、第3回大会はイランで行われたが、その時のメンバーには市原、難波田、藤井、前田が入っておらず、彼らにしてみればイランの地は初めてあるが、リベンジの思いが強く、それがプレッシャーをはねのける力になったことである。
もう1つは、現サッポ監督(2004)がこの大会で初めてて正式にコーチとしてベンチ入りし、すぐには選手達のテクニックがうまくなるとは思わないが、気持ちの面で大きな支援を得たことである。(その前の大会のワールド5はまだ来日してから日が浅く、観客席からのコーチングだった。)
最後は、このイランの地ではじめて日本代表に選出された金山、木暮があれから2年、育ってきたことが挙げられよう。
では、今大会のメンバーを紹介しよう。
監督は引き続き原田 理人監督で、テクニカルアドバイザーとして前述したセルジオ サッポ氏が、ベンチ入りした。(注 サッポ氏の来日経緯はブラジル遠征を参照)
<メンバー>
GK 川原 永光:田原FC
GK 岩坂 浩行:FUTSAL OITA2002エスペランサ
FP 鈴村 拓也:MAG
FP 市原 誉昭:PREDATOR
FP 相根 澄:PREDATOR
FP 藤井 健太:MAG
FP 前田 喜史:CASCAVEL
FP 渡辺 淳一:Midfiled Futsal Club
FP 和泉 秀実:田原FC
FP 金山 友紀:CASCAVEL
FP 木暮 賢一郎:FIRE FOX
FP 難波田 治:FIRE FOX
FP 黒岩 文孝:IPD
FP 清野 乙彦:Midfiled Futsal Club
初選出は元Jリーガーの清野 乙彦で、木暮、岩本などと第2回アジア大会の最終選考で落ちた経験があるが、独特のリズムとテクニックを持つ。
<予選リーグ>
予選リーグの組み合わせは以下のとおりだった。
グループA:日本、クエート、パレスチナ、マカオ
グループB:韓国、台湾、香港、インドネシア
グループC:イラン、キリギスタン、レバノン、中国
グループD:タイ、ウズベキスタン、イラク、マレーシア
日本の初戦は、パレスチナ、実は第3回大会にも当たっており、このときは2−3で敗戦している。しかも、勝っていれば楽に決勝トーナメント進出だったが、負けたためにかろうじてワイルドカードで進出といった苦い経験のある相手である。しかし、そんな心配は稀有であった。前半、藤井の先制点で主導権を奪うと後半、鈴村、木暮、市原と決めて4−0で勝利し幸先の良いスタートとなった。
続く2戦目はマカオが相手、こちらの方は第2回大会で当たっており、当時は監督が日本から派遣された上田監督(現2004日本女子オリンピック代表監督)だった。結果は12−1で圧勝、今回も14−1で圧勝、この時点で早くも決勝トーナメント進出を決めた。
第3戦はクウエート戦、こちらは第4回に2−0で下した相手、今回は5−0で下して、これで3勝0敗、1位で決勝トーナメント進出となった。
このようにいずれも過去に対戦経験がある実力のほどはわかっている相手ばかりだったが、その危なげない勝ちっぷりは、同じイランの地での第3回とは雲泥の差があった。
<決勝トーナメント>
予選リーグを抜けた国は以下のとおり。
グループA:日本、クエート
グループB:韓国、台湾
グループC:イラン、キリギスタン
グループD:タイ、ウズベキスタン
この結果、日本はグループB2位の台湾と準々決勝を戦うことになった。勝てば、タイとキリギスタンの勝者と準決勝である。台湾は問題ない相手で7−0で楽勝だったが、キリギスタンに勝ったタイとは厳しい戦いとなった。
思い起こせば、タイとは第2回大会に6−8で破れ、アジア大会3位を逃し、世界選手権出場を逃した相手である。前回大会こそ日本は3−0で勝って2位となったが、タイは3位となり、まさにタイはライバル、来年のことも考えると絶対勝っておかねばならない相手である。
先制されたが前半10分に成長著しい木暮が1点を返し、さらにその1分後、前田が相根からのクロスに反応し、体を投げ出すスライディングシュートで逆転に成功、前半は2−1で折り返した。
しかし、タイは反則も多かったが、猛反撃、残り6分、ついにミドルシュートを決められ、日本は同点とされてしまう。2−2の同点後は、一進一退だったが、5ファウルのタイに対して日本は第2PKがなかなか取れない。ようやく、延長になって第2PKをゲットし、これを前田がきっちり決めて、延長Vゴール勝ちとなった。厳しい戦いだったがライバルのタイに勝ったことは大きい。
決勝は、またしてもイランとだった。前回大会は0−6と完敗、今回は観客は1万4000人といわれる大アウエー、もはや勝ち目はないかと思われた。実際、前半50秒で先制点、5分で3点を奪われ、このまま、前回と同様大差で終わるのかと思われたものだ。
しかし、ここから日本は戦術を変えた。どちらかというと守りから入る日本の型だと、同じくらいの相手に対しては有効だが、強いシュートを持ち、ピヴォからの攻めも得意とする各上の相手では、どうしても引いては守りきれない。開き直った点もあろう、サッポの考えもあったかも知れない。日本は積極的にプレスをかけて行き、攻めて守ることとした。
これが巧を奏して、11分に難波田のミドルシュートが決まって1点を返す。決勝で当たるイラン戦の初ゴールは難波田だった。
こうして、日本はその後のイランの強シュートを前からのプレスと川原のファインセーブで防ぎ、前半は1−3で折り返す。
後半開始直後こそ、1点を失ったが、CKから鈴村がゴール、また1点を取られると、木暮がもらったファウルのFKを前田が豪快に決めてすぐ追いつくなど渋とさをみせ、3−5、さらには市原が決めてなんと4−5と1点差に追いつく健闘を見せる。こうなると場内は騒然としはじめた。
その後も相根や木暮のあわや同点の惜しいシュートがあったが、最後はまたしてもシャムサイエにやられてしまった。残り1分、得意のピヴォからの振り向きシュートで放たれたボールは、DFと川原の間をすり抜けるようにゴールに跳びこんだ。
日本対イランの2度目の決勝は4−6でイランが2連勝となったが、前回の0−6と比べれば明らかに日本のレベルが上がっていることは間違いない。しかも、超アウエーである。これがホームの日本だったら?。SARSで代替開催となったことが悔やまれてならない。
<イラン戦成績>
1999年 第1回アジア大会 2−5(準決勝)●
2000年 第2回アジア大会 2−6(予選リーグ)●
2001年 第3回アジア大会 4−8(予選リーグ)●
同 2−8(準決勝)●
2001年 タイガー5S 3−5(プレートの部 決勝)●
2002年 第4回アジア大会 0−6(決勝)●
2003年 第5回アジア大会 4−6(決勝)●
<総括>
7月28日 対パレスチナ<4対0> ○ 藤井 鈴村、木暮、市原
7月30日 対マカオ<14−1> ○
7月31日 対クウエート<5−0> ○ 鈴村、相根、金山3
8月03日 対台湾<7−0> ○ 市原、藤井3、渡辺、相根、木暮
8月04日 対タイ<3−2> ○ 木暮、前田2(延長Vゴール)
8月05日 対イラン<4−6> ● 難波田、鈴村、前田、市原
3回大会を経て、2位→2位と確実にステップアップしてきたことを証明した大会だったといえる。タイ戦は厳しかったが、その他は危なげなく勝ち、下位チームには絶対取りこぼしはしない安定した強さを身につけたといえる。来年の世界大会進出をかけたアジア大会に2位の実績で臨めることは大きい。
次はやはり本気でイランに勝つことを考えることだろう。これによって、後ろから追いかけてくるタイに対しても危なげなく勝つことができる。
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